馬場元子 確執の真相とは?プロレス界の女帝と呼ばれた女の経歴から紐解いてみた,,,

「爆報!THEフライデー」

故ジャイアント馬場さん(享年61)夫人で、元全日本プロレス社長の馬場元子さんが、肝硬変のため2018年4月14日に亡くなっていたことが2018年4月23日に判明、78歳の生涯でした。

28日放送のTBS系「爆報!THEフライデー 2時間SP」(後7・00)は、プロレスラーのジャイアント馬場さんと妻・元子さんを特集。謎に包まれていた馬場さんの晩年や、“プロレス界の女帝”と呼ばれた元子さんの素顔に迫まります。

本日は

 

・馬場元子 確執の真相とは?

 

・プロレス界の女帝と呼ばれた女の経歴

 

・馬場元子さんが夫のジャイアント馬場の意思を引き継いだ証拠と結果

 

3つのテーマを中心に記事にさせて頂きました。

 

本日も最後までお付き愛ください。


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「爆報!THEフライデー2時間SP」の放送内容とは?

99年1月に飛び込んできた馬場さんの訃報。

国民的スターの突然の死は、

マスコミはおろか馬場さんが創業した全日本プロレスの選手たちでさえ知らされていなかった。

馬場さんの病状を周囲に隠していたのは

「全日本プロレスを崩壊させた」

「儲けを独り占め」など数々の疑惑から“プロレス界の女帝”と呼ばれた妻・元子さん。

馬場さんの死後はほとんど表舞台に出ることなく、今年4月に78歳で亡くなった。

番組では元子さんの姪(めい)にあたる人物の取材に成功。馬場夫妻の娘同然だった彼女が、謎に包まれていた馬場さんのプライベート、そして馬場さんの死の直後に遺体を隠ぺいしようとした元子さんの真意について語る。

実際に爆報が馬場元子さんのことを取り上げなければ、

真実はボヤけていたのではないでしょうか。

爆報報道にTwitterでも

このように「いままで報道で語られてはいない真相」を心待ちにしています。

では、この記事では、何をお伝えしていくかといえば、

馬場元子さんの生涯を、

・「当時の新聞記事」

 

・「専門本」

 

・「熱きTwitter投稿」

 

を元に時系列にまとめていきました。

 

本日も最後までお付き愛ください。


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プロレス界の女帝と呼ばれた馬場元子さんの経歴

馬場元子さんの経歴

プロフィール

生年月日:1940年1月2日

出身地:兵庫・明石市

家族:裕福な旧家に4人きょうだいの末娘

学歴:神戸市の短大卒業後には米国に留学

仕事:旅行代理店

.

 

ジャイアント馬場さんとの関係

プロ野球読売巨人軍が明石でキャンプを張った際、父親が後援会会員だったため、投手だった馬場さんと知り合った。

当時、元子さんは15歳。その後、手紙を中心にした「遠距離恋愛」が始まった。

その後、馬場さんは野球選手を手の怪我で辞め、アメリカでプロレスラーに。

66年に婚約するも馬場さんはすでにプロレスで大スターだったため、長く婚約の事実は伏せられていた。

その後は日本プロレスの巡業にも同行するようになり、外国人選手からは「ミセス・ババ」と呼ばれた。

結婚の事実が公にされたのは82年のことだった。

馬場さんが72年に全日本プロレスを旗揚げすると、裏方として団体を支えた。

99年1月31日に馬場さんが死去すると、新社長となった故三沢光晴さんの元、取締役に就任。経営方針の違いで、三沢さんらが離脱してノアを設立する。

来年1月31日には「ジャイアント馬場没後20年追善イベント」を計画しており、それが病後の元子さんの支えとなっていた。

志半ばで急逝したが、同イベントは親族が中心となり開催する意向だ。

 


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ジャイアント馬場さんが死去が隠蔽された理由

馬場元子さんって明石市の方なんだよねぇ。あんまり良いイメージなかったんだけど馬場さんの事をとても思ってらしたんですね。んじゃ何で三沢さん達は出ていったんだろ?

病気で痩せていく馬場さんの姿を誰にも見せたくない思いもあり、死体を隠蔽したと爆報では紹介されていました。


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馬場元子さんの確執の真相とは

全日本プロレスの名誉レフェリーを務める和田京平さん(63)のコメント

99年1月31日に馬場さんは亡くなり、故三沢光晴さん(享年46)が後任の社長に就任。しかし元子さんと意見の衝突を繰り返し2000年6月に約30人もの選手、スタッフが大量離脱してノアを旗揚げした。その2年前、馬場さんは全日プロの未来を見通していたかのような“遺言”を残していた。俺が死んだら――馬場さんはそう切り出したという。

「『なあ京平、かあちゃんと三沢がうまくいくはずがないだろう。そうなったらお前、かあちゃんの側についてくれるか。あの性格じゃ厳しくて誰もついてこないと思うんだ』って。『分かりました』と答えるしかないよね。だから馬場さんが亡くなった時、心に誓った。『社長、元子さんは俺が一生、付き添いますから』って」

99年1月31日に馬場さんが亡くなった後は、故三沢光晴さん(享年46)を社長として再出発を図るも、経営上で意見が衝突。2000年に選手とスタッフが大量離脱して「プロレスリング・ノア」を旗揚げする激震に見舞われた。厳しい会社運営姿勢に批判の声が多かったのも事実。しかし、それも「馬場さんの代わりに嫌われる存在が必要だから」と覚悟の上だった。

同年7月には自らが社長に就任し、ミスタープロレス・天龍源一郎(68)の復帰や当時新日本プロレスのエースだった武藤敬司(55)の移籍などで団体を盛り返した。02年10月の日本武道館大会を最後に社長から退き、14年7月に秋山準(48)が新社長になると相談役として新体制を支えた(翌年に辞任)。

00年に元子さんは社長に就任。川田利明ら、残った選手は少なかったが、天龍源一郎を全日本に復活させ、武藤敬司を新日本から迎えるなど、馬場さんが残した全日本の存続に力を尽くした。

その後、武藤に社長の座を譲り、経営からは身を引いていた。


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馬場元子さんの死因理由は?

全日本プロレスの名誉レフェリーを務める和田京平さん(63)のコメント

元子さんは、昨年の夏前に肝臓の病気が悪化し6月に都内の病院に入院。その後「余命2週間」と医師から宣告されたという。一時は病状も回復したが、13日に容体が急変し、14日午前中に亡くなったという。19日に通夜、20日に告別式が親族のみで執り行われた。

全日本プロレスの名誉レフェリーを務める和田京平さん(63)のコメント

「酒もタバコもやらないのに、肝硬変で亡くなるなんて。4、5カ月前に病院でお見舞いしたときは、元気いっぱいで、嫌みを言われた。病院に入っても強かったね。60歳すぎても怒られるのはオレぐらい。怒ってくれる人がいなくなって本当に寂しいよ」と話していた。

10月に元子さんは肝臓を患い、医師から「余命2週間」と宣告された。それ以後、和田氏との連絡をピシャリと絶ったのだ。

「弱ったところを見せたくなかったんでしょう。それはプロレスラーと一緒。俺が病院に行けば『京平、お願いだから家まで連れて帰って。もう病院は嫌』って言ってしまうのを自分で分かってたんじゃないかな。だから最期はごく近い親族のみで過ごされた。それはそれでいい。でも馬場さんに託された『うちのかあちゃんを最後まで頼む』って約束は守りたかった…」。そうつぶやくと和田氏は目を伏せた。

 

 馬場さんは1999年1月31日に死去し、遺骨は長く自宅に保管されていた。「なぜお墓をつくらないのか」との声もあったが、実はある“約束”があったという。元子さんの実父で故伊藤悌(やすし)さんが85年に亡くなった際、明石市内の墓の前で号泣する元子さんに対し、馬場さんは「もう泣くなよ。お父さんのお墓の隣に馬場家のお墓を建てるから。そこに(お互いが亡くなったら)一緒に入ろう。そうすればユーは永遠にお父さんといられるだろ」と慰め、その後に墓を建立した。

馬場元子さんが夫のジャイアント馬場の意思を引き継いだ証拠と結果

「ジャイアントサービスの負債の大部分、1億3900万円ほどが元子さんからの貸付金です。つまり元子さんは、グッズが売れなくなっても自費を投じて細々と経営していたのです。馬場さんが遺した8億7千万円もの遺産があったからこそできたのでしょう」

周囲の意向はどうあれ、それだけの思いが詰まった会社をなぜ、清算するのか。

「元子さんの相続人となった、元子さんの姪とその息子さんの相続税対策でしょう。馬場さん死後、元子さんのほか、この2人も役員に加わっていました。会社を続ければ、元子さんの貸付金も遺産として相続することになり多額の相続税が課せられる。だから清算を選択したのだと思います」

「馬場さんに一生添い遂げた元子さんも亡くなり、ジャイアントサービスが消えていく。それは昭和のプロレスが本当に終わるという、歴史の句読点なのではないでしょうか。」

出典:https://www.dailyshincho.jp/article/2018/11230559/?all=1&page=1

 

『昭和プロレス悪魔の辞典』(井上譲二著、宝島社)のレビューに

「和解」というページがあります。

和解の国語辞典的解説を最初の4行ですませると、あとはプロレス界の和解エピソードに話題は移ります。

誰と誰が和解したかと言うと、馬場元子さんと三沢光晴です。

ジャイアント馬場が亡くなった後、社長になった三沢光晴は、馬場元子さんと団体経営をめぐって対立し、三沢光晴は大半の選手と過半数をこえる社員を引き連れて、新団体・ノアを旗揚げしました。

その頃は、トークショーでも馬場元子さんを悪し様に言うのが「お約束」だったはずですが、実は2人は和解し、長電話で話をする関係に戻っていたというのです。

これは、プロレスファンもあまり知らないことではないでしょうか。

馬場元子さんが、三沢光晴の葬儀に出席したのは、決して「義理」だけではなかったわけです。

著者は、「三沢のなかでは生まれ育った全日本プロレスを離脱したことに対して、後悔の念もあったと私は感じている」と結んでいます。


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爆報終わりのみんなの感想

TBS 爆報THEフライデー 馬場元子さんの特集。 世間が思っている元子さんとは真逆の内容。 入院費や休業保証も支払っていたらしい。 馬場さんと全日本プロレスを守るため憎まれ役になり、生前は悪意のある報道に全く反論しなかった。 バラエティー番組なので、真偽はわからないが素直に感動した。

馬場元子さんのTVの件 川田さんだけに話しを聞いて真実はこうだった! って番組の作り方どうなんだ? 三沢さんはこの世にいないから話しは聞けない。けど田上さん小橋さん百田さんにだって話しは聞けたでしょ? ちなみに三沢さんこういう話しもしてたけどね。 関係者の話しでは無い本 人談として。

往年のプロレスファンには納得いく番組ではない部分もあったみたいです。

・美談でしかない。

しかし、この記事を書いてる時も、

爆報を見終わった時も

僕は、ただただ、馬場さんを愛していたのではないのか?

そう感じてしかたなかったです。

今頃は天国で馬場さんとまた仲良く笑いながら過ごしてるのではないでしょうか。

本日の記事はここまでです。

最後までお付き愛くださり御礼申し上げます。


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