後関昌彦 WIKI風経歴と年収が気になる!「松井裕樹が背番号1に込めた思い」とは、苑田聡彦さんとの共通点は

スポーツ


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【バース・デイ】

後関昌彦さんと言う人はご存知ですか?東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトマンです、今日は名スカウトと呼べれるまでの軌跡を記事にしていきます、それでは早速まいりましょう。


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ニュースでも取り上げられる

昨季4年ぶりにクライマックスシリーズ(CS)に進出した楽天。10日放送のTBS「バース・デイ」(土曜後5・00)では、チームを支える名スカウト・後関昌彦氏(54)に密着。1月4日に70歳で逝去した星野仙一さんが、球団副会長として参加した昨年のドラフト戦略会議にもカメラが潜入しており、普段は決して見ることができない舞台裏を紐解く。

チームから絶大な信頼を寄せられている名スカウトで、他球団の関係者も舌を巻く「発掘力」を有する後関氏。選手の将来を第一に考え、「現地で見るのはまずは鉄則」と球場に何度も足を運び、プレーから立ち居振る舞いまで自らの目で確かめる。年間400試合以上を観ることで培われた”神の目”は、「スカウトした選手は、確実にプロで成功する」とさえ言われている。

中でも周囲を驚かせたのは、16年にドラフト9位で指名した高梨雄平投手(25)だ。高梨の強気な投球スタイルとコントロールの良さに学生時代から目をつけていた後関氏は、ベンチ入りすらままならなかった社会人時代も調査を継続。「こいつもしかしたら面白いかな」という後関氏の“眼力”は見事に的中し、高梨はドラフト9位と下位指名ながら1年目から中継ぎ左腕として大車輪の活躍。46試合に登板し、防御率1・03と驚異的な数字を残して、チーム4年ぶりのCS進出に大きく貢献した。

「たまたま縁があった選手が活躍してくれただけ―。人が人を評価するので非常に難しい。そんな簡単に人の人生変えられないから、なかなか。毎年毎年勝負ってところありますよね」。

そう語る後関氏に、昨年のドラフト会議で課せられた命題は「和製大砲の獲得」だった。番組は、後関氏の選手視察のほか、星野さんら首脳陣にスカウト自ら指名候補選手の説明を行うドラフト前日会議も取材。後関氏のプレゼンで、星野さんが思わず声を上げた大砲とは――。高校史上最多111本の本塁打を放った清宮幸太郎内野手(18)に注目が集まった17年ドラフト会議の舞台裏が明らかとなる。(引用元)

確かに高梨投手を発掘した眼力は凄いと思う。
ドラ9の投手が今や侍ジャパンの1員なんだから。

見ようと思ったら仙台ではバースデー放送されない
楽天のことやるなら仙台で放送される番組でやれよ

和製大砲の獲得は結果的に言えば
慶応の岩見の指名になったんですかね。

高梨が出てこれないチームってどこ?
ハイレベルだがや。

ドラフトは駆け引きはおもしろい
密着取材があると更におもしろい

後関昌彦さんのWIKI風経歴

国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県鎌ケ谷市
生年月日 1963年8月5日(54歳)
身長180 cm
体重 83 kg

選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手、一塁手
プロ入り 1981年 ドラフト外
初出場 1984年7月29日
最終出場 1992年6月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
習志野市立習志野高等学校
ヤクルトスワローズ (1982 – 1988)
近鉄バファローズ (1989 – 1992)

経歴
習志野高では2年生の時、控え選手ではあるが1980年夏の甲子園に出場。2回戦で東北高の中条善伸に完封を喫する。

1981年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに投手として入団し、入団後に野手に転向。

1983年にはイースタン・リーグのベストナイン(一塁手)に選出される。一軍では左の代打要員としての出場が主であったが、1988年には17試合に一塁手、左翼手として先発出場。しかし同年オフ、谷宏明との交換で近鉄に移籍。

1989年には指名打者、一塁手として14試合に先発するが、その後は出場機会が減少。1990年11月に他球団へ移籍するためのセレクション会議にかけられるも、進展なく12月に自由契約。その後、オファーの無い後関に対し近鉄が10%減の年俸900万円で再契約している。

1992年限りで現役を引退。

引退後は近鉄のスカウトを経て、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトを務める。また、船橋リトルリーグナショナルコーチとして活動中。

後関昌彦さんの現役時代の成績は

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
1984ヤクルト7660000000000000040.000.000.000.000
19859990300030000000030.333.333.333.667
19872424242410182000000053.167.167.333.500
1988561019411222043671020500181.234.273.383.656
1989近鉄4278711153012150030400152.211.253.296.549
19901418142100010001030032.071.235.071.307
19915440100010000000010.250.250.250.500
1992710100100010000000030.100.100.100.200
通算:8年1642502321647606711410601200528.203.242.306.548

記録

初出場:1984年7月29日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(明治神宮野球場)、5回裏に井本隆の代打で出場
初先発出場:1984年8月16日、対広島東洋カープ20回戦(広島市民球場)、8番・左翼手で先発出場
初安打:1985年5月23日、対読売ジャイアンツ9回戦(明治神宮野球場)、9回裏に鳥原公二の代打で出場、江川卓から
初打点:1987年6月2日、読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、7回裏に中本茂樹の代打で出場、鹿取義隆から適時二塁打
初本塁打:1987年6月3日、読売ジャイアンツ8回戦(明治神宮野球場)、7回裏に高野光の代打で出場、槙原寛己からソロ
背番号
60 (1982年 – 1987年)
37 (1988年)
36 (1989年 – 1992年)

こんな話も

俳優の仲村トオルは同じ東葛地方の中学(後関:鎌ヶ谷二中、仲村:流山東部中)に通学しており(後関より2学年下)、「中学生時代に練習試合で対戦し、校舎の屋根を軽く越えるホームランを打たれた。」とラジオ番組(ニッポン放送「仲村トオルの待たせてゴメン」)で語っていた。

仲村によると、「中学生のなかに、一回りガタイの大きな選手がいて、それが(番組放送当時在籍していた)ヤクルトの後関選手だった」「(全力で投げたボールを軽く打ち返され)自分はプロ野球選手にはなれないと思った。プロになるのはこういうヤツなんだろうと思った」と語っている。


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 1981年のヤクルトの様子

ドラフト
詳細は「1981年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 宮本賢治 投手 亜細亜大学 入団
2位 加藤誉昭 外野手 都城商業高 入団
3位 中川明仁 投手 向上高 入団
4位 小川淳司 外野手 河合楽器 入団
5位 橋口美利 投手 宮崎・本庄高 入団
6位 豊順一郎 外野手 中種子高 入団

前年まで近鉄のリーグ連覇に大きく貢献したチャーリー・マニエルが3年ぶりにチームに復帰。外野陣は主力打者の若松勉、俊足好守のジョン・スコットそしてマニエルがレギュラーとなり、外野陣から溢れた杉浦享は一塁で大杉勝男と併用という贅沢な悩みを抱えた。しかし開幕を迎えると、肝心のマニエルの調子が一向に上がらず、4月24日の15試合目にようやく1号本塁打が出るなど、12本塁打にとどまり期待を裏切った。また、若松が4月22日に右肩の靭帯を損傷し戦列を離脱、さらにスコットも5月26日の阪神戦で甲子園のフェンスに激突し左膝の靭帯を損傷しこれまた離脱となり、外野陣は大幅に戦力ダウン。代わりに出番が大幅に増えた控え外野手の青木実が盗塁王に輝き、大杉も自己ベストの打率.343をマークし2000本安打も達成するなど活躍したが、チームは一度も優勝争いに絡めず4位で終了。シーズン終了後に安田猛が現役を引退した。

こんなチーム状態がオフにドラフト外で獲得にいたったのでしょう。

まさに、ヤクルトがなければ今の名スカウトは生まれていません。


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松井との出会い

楽天・立花陽三球団社長がガッツポーズを見せた瞬間、会場からは大きな歓声が上がった――。

日本中のファンや関係者の注目を集めた、高校ナンバーワン左腕・松井裕樹(桐光学園高)のドラフト指名。やはり複数の5球団が1位指名で競合し、日本ハム、横浜DeNA、ソフトバンク、中日と順番にクジを引いていく。交渉権を引き当てたのは、最後に残った楽天だった。

楽天の新入団発表会で背番号1を披露した松井裕樹

「不思議な縁があったんじゃないかなと思っています」

そう語るのは、松井を追い続けた楽天スカウトの後関昌彦(ごせき・まさひこ)氏だ。

かつてヤクルトで7年間、移籍した近鉄でも4年間プレイ。おもに左の代打として通算164試合に出場した。引退後はスカウトに転身し、近鉄、楽天で活躍。じつはもともと後関氏は、松井を担当していたわけではなかった。

「神奈川にいい投手がいるという話はしていましたが、私はそもそも担当外。しかし昨夏、甲子園でたまたま今治西戦を見ていた。中盤に差し掛かると他球団のスカウトは帰り始めたのですが、私は安部井(寛)スカウト部長らと何となく『もうちょっとだけ残りましょうか』となったんです。そうしたら1試合22奪三振の新記録。『こりゃ来年が大変だ』って話したんですけど、まさか直接関わることになるとは思いませんでした」

昨年12月、スカウト部内の配置転換によって、後関氏は神奈川を担当することが決まった。”桐光の松井”と言えば、どの球団も注目する素材。当然、楽天でも上位指名候補としてリストアップされていた。

そして年が明けた1月5日。桐光学園の初練習に際し、後関氏がグラウンドへ向かうと、他球団の関係者はまだ誰も来ていなかった。なんと2013年の一番乗り。もともと面識のあった桐光学園高の野呂雅之監督からも、「最初に来ちゃいましたね」と声を掛けられた。いま思えば、この頃から見えない糸で結ばれていたのかもしれない。


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スカウトの仕事とは難しいものである。全国各地の注目選手、あるいはダイヤの原石を冷静に分析し、評価を球団に報告する。だからと言って、意見がすべて採用されるわけではない。それらはあくまでも判断材料。ドラフト当日、ひとりの選手の指名順位が変わるだけで、球団の戦略は大きく変わっていく。いくら熱心に選手のもとへ足を運んでも、指名があるかどうかはスカウトでさえドラフト当日になってみないことには分からないのだ。それでも、選手にとっては一生を左右する出来事であり、球団にとってもプラスにならなければいけない。だからこそ、スカウトたちは熱心に球場へと通い詰める。

「近鉄のスカウト時代、日本通運の大塚晶文(現BCリーグ・信濃グランセローズ)のもとに1月から毎週通って、逆指名をいただいたときは本当に嬉しかったですね。でも今はクジ引きになるので、最後は運に任せるしかない。松井はどう考えても競合するし、現実としては厳しいだろうなと。だから、立花社長のガッツポーズが出たときはさすがにゾワッと鳥肌が立ちました」

球団が松井の指名を決めたのは、ドラフト前日のことだ。即戦力ということであれば、他にも候補選手はいた。それでも後関氏には、「松井はプロでも一級品になる」という自信があったという。

確信したのは夏の県大会前、春のセンバツ王者・浦和学院との練習試合を見た時だった。この試合、メディアでも大きく報道された通り、松井は18奪三振で1安打完封という完璧な投球を見せた。ネット裏で見ていた後関氏が注目したのは、松井が投げる球の軌道。スライダーやチェンジアップを見ると、腕の振りや途中までの軌道が直球と変わらず、打者が振りにいったところから変化する。打者が最も嫌がるのは球との距離が変わること、つまり緩急による時間差があることなのだという。

「投げた瞬間は、後ろで見ている僕たちまでも直球だと思ってしまう。そこから途中でスッと減速して変化していく。これが彼の一番の持ち味だし、高校生の時点でそういう武器があるのは強いなと。逆にそれがないと、プロの世界で一流にはなれません。田中将大のスプリットがなぜ通用するのかって、打者はみな直球だと思って振りにいくんです。『スプリットが来るだろう』と予測はしていても、いざ投げてくる球が直球に見えるから手を出してしまう。実際には手元で落ちるから、バットに当たらない。逆に、変化していく軌道が途中で見えたとしたら、プロの打者は打ちますよ」

また松井は昨夏の時点で、直球とスライダーの組み立てをメインにしていた。それならば打者にある程度対応されてしまうことも想定されたのだが、最終学年になるとチェンジアップを習得。特に右打者からしたら、食い込んでくるスライダーを意識している中で、外へ流れながら落ちるチェンジアップを投げられた場合、「直球だ」と反応して振ってしまうだろう。ましてや、直球も140キロ台後半と力があるのだ。横幅も自在に使えるようになった松井について、後関氏は「春先よりも間違いなく良くなっている」と球団に報告した。

一方で、懸念材料もある。前年(高校2年)の秋は県8強で敗退し、今年の春先も決して調子が良いわけではなかった。昨夏の強烈なイメージがあるだけに、投球内容には波があるようにも感じられる。だが、後関氏はこう語る。

「正直、コントロールが抜群にいいタイプではありません。春の県大会では捕手が1年生だったこともあり、変に制球を重視して思い切り投げられていなかった。関東大会の花咲徳栄戦でも制球にバラつきがあって、印象は良くなかったですよ。でも、四死球で自滅するタイプではないですし、球が走っていない中でも要所を締めていましたからね。左右の幅を使って打ち取れていたし、彼の違う面を見ることができました」

そして「コントロールの調子の波は今後もあること」だと言う。松井の投球フォームは前肩(右肩)を斜め上へ向けていくスタイルのため、ブレが生まれやすい。現在の野球界では、多くのメジャーリーガーがそうしているように前肩を捕手へ真っすぐ向けていくのが主流だ。ただ、それを直すと松井の良さが消えてしまう可能性もある。前肩を真っすぐ向けるのは結局、できるだけ球を隠して体の開きを抑えるため。大柄ではない日本人の骨格を考えれば、より大きな力を出すためにもむしろ、松井のように体を目いっぱい使って弓のようにしならせるほうが、理に適っているのかもしれない。

そういう意味では、174センチという体格もまったく気にならない。後関氏は日本シリーズMVPに輝いた美馬学を例に挙げる。

「美馬は身長169センチですが、アマチュア時代から投げている姿が大きく見えた。実際に社会人打者をねじ伏せていましたからね。勇気が要りましたが、『絶対に使えます』と報告したのを覚えています。松井もマウンドで小さく感じないし、腕が上から出てくるので球に角度がある。昔の一流投手も多くは彼のような投げ方をしていますし、星野仙一監督やコーチ陣も彼の良さは分かっていると思います。体格や投球フォームについては、特に気にしていないですね」

そしてもうひとつ、後関氏は今後の活躍を占う上で、大きなポイントを挙げてくれた。


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「いかにストライクゾーンの違いに対応できるかどうか、ですね。球の力が十分に通用するのは分かっている。でも、ストライクゾーンの感覚を身につけるのは時間が掛かるものです。たとえば、自分の中では『いいところに決まった』と思っていた球がボールと判定されることもある。アマチュア時代はストライクになっていたとしても、プロ野球の審判からすればそれはボール球なんです。その球をカウント1ボール1ストライクから投げた場合、本来なら追い込んでいるはずが2ボール1ストライクになるし、2球続ければ三振だったはずが3ボール1ストライクになる。当然、カウントが苦しくなれば四球を出したくないから、コースが甘くなる。そうやって打たれて、苦しんでいる投手がたくさんいます。あと、統一球に慣れることも大事。プロアマ間で違いがあるのは決していいことではないですが、そういう現状がある以上、対応していくしかない。審判が来たときのブルペン投球や実戦などで経験を積んでいく中で、しっかり覚えていってもらいたいです」

焦りはない。もちろん即戦力という評価はしているものの、心身ともにまだ高校生。球団にも「目先の1年にこだわるのではなく、将来的に軸となってほしい」との想いがある。

スカウトが指名候補選手をリストアップする際、選手の人間性まで調査するという話をよく聞く。選手に接触するわけにはいかないが、周囲の関係者から話を聞き、野球に対する姿勢や普段の言動などを確認するのだ。その点で言えば、松井は十分に活躍できる資質を持っている。

「常に注目される環境で揉まれてきた分、言動にも気を遣うことができていますし、聞いた話では『放っておいても自分で練習するタイプだ』と。試合を見ていても、1年生捕手とコミュニケーションを取りながら配球を組み立てたり、いろいろ意識している部分が見えました。それと同時に、大らかさもあります。プロの世界って、あまり考えすぎても良くない。高校野球は負けたら終わりですけれども、プロは負けても投げ続けなければならない。前回の反省をいちいち引きずっていたら、1年間を戦えない。指名後に話した印象でも、彼はいい意味で切り替えができるタイプかなと思いましたね」(後関氏)

ここ数年、ドラフトにおける楽天の補強ポイントは投手、それも左投手だった。日本一に輝いた今季も、左腕でフル回転したのは金刃憲人のみ。長谷部康平、片山博視、辛島航らも活躍を見せたが、左投手不足は依然として解消されていない。指名選手9名のうち、じつに8名が投手で、松井を含む4名が左腕。チャンスは十分に与えられるのではないか。

もちろん、過大評価は禁物だ。世間の注目度が高いだけに、期待の波に飲み込まれ、潰されてしまうリスクもある。ただ、後関氏は大きな希望を抱いている。

「体力的に心配なところもあるけど、実際に会ってみて、すごい体をしているなと思いました。無理をさせないようにしていく必要はあると思いますが、予想以上に体力はありそう。あとは、紅白戦やオープン戦でプロの打者と対戦してみてどうなるか。そこはもう、実際にやってみないと分からない部分ですが、田中(将大)のように高卒1年目から活躍する可能性もある。入団会見の日にちょうどクラブハウスに田中が来ていたのですが、松井自身が田中を目標にしている部分もあったみたいで、相当感動していたらしいです。本心は分からないけど、楽天というチームに縁があったとは思ってくれているんじゃないかな」

ちなみに入団交渉の時、球団側がいくつか背番号を提示した中で、松井は1番を選んでいる。

「プロ野球では通常、投手は10番台から。でも、彼は高校時代に背負った1番を選んだ。投手だからこの番号、というのではなく、“1=松井”というイメージを作りたいみたいなんです。自分というものをしっかり持って、常識を変えていきたいというこだわりを感じました。ぜひ成功してほしいなって思います」

言うまでもなく、今後活躍できるかどうかは本人しだい。今までに経験したことのない壁にも当たるだろうし、うまくいかないこともたくさんあるだろう。だが、松井ならきっと自分を見失うこともないはずだ。

年が明ければ2014年。いよいよ“楽天・松井裕樹”が戦いの舞台に立つ。(引用元)


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スカウトの年収が気になる~

スカウトは球団職員でサラリーマンのようなものですから(編成部所属)、担当した選手の活躍度で給料が大きく変わることはありません。
億を貰えるスカウトなどいないでしょう。
億単位の給料など監督でもそう貰えないし編成部長でももちろんあり得ない金額です。
活躍できるか出来ないかもコーチングによって違いますし、スカウトだけが責任を取らされることはないでしょう。
キャバクラのスカウトではあるまいし、歩合制ではないですよ。
ただし指名したのに入団してくれなかった場合は責任を取らされることがあります。
調査不足ですからね。
さて年収ですが、コーチの年俸は大物でもない限り1500~3000万くらいです。

http://www.sanspo.com/baseball/professional/player/giants/73.html
http://www.sanspo.com/baseball/professional/player/marines/73.html

ちなみに西武の渡辺監督の推定年俸は5000万。
そこから考えるに平のスカウトが2000万を超えることはまずないでしょう。
貰える人(コーチも出来るような、チームにとって重要な人材)でも1000万円程度だと思われます。
並のスカウトだと500~700万円前後(年齢によって変動)からスタートして、あとはサラリーマンのように階段を上っていく形だと思いますよ。
部長とかはもっと貰っているでしょうけど(本社の部長職くらい?)。


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他の名スカウトは誰?苑田聡彦さんではないでしょうか

 

やはり、この人ではないでしょうか。

 

 

 

名言で

惚れたら惚れ抜け。直感に勝る確信はない

各スカウトには、ユニフォームの着こなしやグラブの使い方、軸足の向きなど、選手を見るときのポイントを20項目くらい伝えている。

母親を見せてもらえれば、良い選手かどうかわかる

と、
「チームの一員として一緒に野球をしていけるのか」
「プロになってからも努力を続けられるのか」
「プロの練習についてこられる体力があるか」
「持って生まれた瞬発力や力を持っているのか」
「目配り・気配りができる選手なのか」


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この2人はけっして選手時代が成功かと聞かれれば、そうではないのです。

苑田聡彦さんは入団後は広島東洋カープ一筋で活躍され、1977年の引退までに814試合に出場し、1844打席403安打という結果です。

この成績だからこそ、人を見ることができるのではないでしょうか。

実力はいりますがプロではそれだけでは開花しない「なにか」を2人とも現役時代に感じてそれを活かしているのでしょう。

経験したことのある人にしか分からない「嗅覚」が名選手をつくりあげていくのでしょう。

 

今日の記事はここまでです、最後まで読んで頂き御礼申し上げます。


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