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大道寺あや子 かわいい顔の裏の顔とは?1974年8月30日正午過ぎ日本を揺るがす事件が始まりであった!あなたはご存知でしょうか「一人の生命は地球より重い」日本でテロがあった時代のコトを,,,

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【テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース】

1974年に起きた三菱重工ビル爆破事件で逮捕され、その後、訳あって釈放された大道寺あや子についての特集が、今日は「大道寺あや子 かわいい顔の裏の顔とは?1974年8月30日正午過ぎ日本を揺るがす事件が始まった!あなたはご存知でしょうか「一人の生命は地球より重い」日本でテロがあった時代のコトを」をテーマに記事にしました。

本日も最後までお付き合いよろしくお願いいたします。


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「東アジア反日武装戦線」がこの事件をひきおこす

「東アジア反日武装戦線」の原点は、1970年に三菱重工爆破事件の首謀者大道寺将司が法政大学在学中に創設した「Lクラス闘争委員会」とされています。当時は、学生運動(全共闘運動)が最も活発化した時期でもあり、多くの賛同者を獲得していきます。

1970年8月、三菱重工爆破事件の首謀者大道寺将司や「Lクラス闘争委員会」のメンバーが中心となって「研究会」を立ち上げて、戦前に日本がアジア諸国で展開した「帝国主義」「植民地主義」を徹底的に分析して、急進的な反日思想を扇動していきます。

また、カストロによるキューバ革命の影響も受けて、自分達のイデオロギーを実現させるには、武力闘争も辞さないスタンスに傾斜していきます。また、11月には星薬科大学の大道寺あや子も合流しました。

そして、1972年12月に「東アジア反日武装戦線」という名称に変更され、反日思想を実現するため段階的に武装準備を進めていき、1974年8月の三菱重工爆破事件に発展していきます。

 

三菱重工爆破事件が連続テロ事件の始まりである

事件が起きたのは1974年8月30日正午過ぎでした。
東京丸の内三菱重工業東京本社ビルで、突然爆弾が爆発。

実行犯の4人が三菱重工業東京本社ビルの、1階の出入り口に爆弾を仕掛け、実行犯が立ち去った0時45分に爆発しました。

この衝撃で、無関係な一般人が巻きこまれビルの1階の玄関ロビーは滅茶苦茶に破壊
強烈な爆風で、ビルの窓は全て吹き飛んだそうです。

その威力の強さは、周囲のビルにも影響を与え、ガラス破片が道路に降り注ぎました。

そのため、外を歩いていた歩行者にも被害が出てオフィス街は一瞬で大惨事に。

この爆破により、三菱重工社員、通行人の8人が犠牲
負傷者は376人という、日本の事件史上でも大事件となりました。

この爆破をきっかけに、立て続けに企業に対する爆破事件が起こります。

10月14日 三井物産本社
11月25日 帝人中央研究所
12月10日 大成建設
12月23日 鹿島建設
翌年2月28日 間組本社・大宮工場
4月19日 オリエンタルメタル社
4月28日 間組京成江戸川作業所
5月4日 間組京成江戸川橋鉄橋工事現場

凄まじい数の爆破事件の数々

これが
無差別テロ「連続企業爆破事件」です。

そして、最初に起きた三菱重工爆破から、約9ヶ月たち
ようやく、8人のメンバーが逮捕されました。

この事件で、犯人の1人として逮捕されたのが大道寺あや子です。

大道寺あや子は、「アサカワ」というコードネームを名乗っていたようで、これは、大道寺あや子さんが、浅川マキさんのファンだったそうで、この名前を使用されたようです。

三菱重工爆破事件の概要

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 三菱重工爆破事件は、1974年8月30日の昼過ぎ三菱重工業東京本社ビルで発生した無差別爆弾テロ事件です。その後の連続企業爆破事件のきっかけとなります。この三菱重工爆破事件で死者8名、負傷者376名という被害者を出し、当時では戦後最大のテロ事件となりました。

この事件は「ダイアモンド作戦」と呼ばれ、その約1か月後に「東アジア反日武装戦線 狼」から犯行声明が出されました。

犯行声明(全文)

一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。
三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。
“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。
“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。
最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。
海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。
この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。

— 9月23日東アジア反日武装戦線“狼”情報部

三菱重工爆破事件は、戦前の日本の帝国主義のスポンサーとしての三菱グループに対する攻撃であるとされ、その従業員も無関係ではなく、三菱に寄生して帝国主義に加担していると結論付けています。そして、海外進出を停止して、海外資産を凍結するように要求しました。

三菱重工爆破事件の背景

 「東アジア反日武装戦線 狼」は、第二次世界大戦を「侵略戦争」と位置付けて反帝国主義や反植民地主義を強硬に主張する一環として、軍需産業のリーディングカンパニーであった三菱重工業にターゲットを絞り込んで三菱重工爆破事件を実行しました。

三菱重工爆破事件の犯人は?

 三菱重工爆破事件の犯行グループ「東アジア反日武装戦線 狼」のメンバーであったのが、大道寺将司、大道寺あや子、佐々木規夫等です。この「東アジア反日武装戦線 狼」の思想的背景は、反日亡国論やアイヌ革命論を展開する反日アナキズム思想と考えられ


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三菱重工爆破事件のその後はどうなったの?

三菱重工爆破事件の翌年の1975年5月までに犯人は全員逮捕されます。

 

しかし、佐々木規夫は日本赤軍によるクアラルンプール事件で釈放され国外逃亡します。

さらに、大道寺あや子も日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件により釈放されます。ともに、日本政府の超法規的措置という取り扱いでした。

そのうちの大道寺あや子、佐々木則夫はなんと日本政府の「超法規的措置」により釈放。

いわゆる日本がテロに屈した形となりました。これは国際社会で大きく非難される出来事でした。

超法規的措置とは

超法規的措置、というのは国家が定めた法律を、国家そのものを超えて行う特別な行為のこと常識的には行えない行為を無理矢理行う際に使われるものです。

主にハイジャックや立てこもり、テロリストの犯人の要求に応じて行われることが多いそうです。日本では1回行われました。

彼女は現在も国際指名手配中です。

日本に潜伏しているのではないかという説もありますが、2001年に日本赤軍が解散するという声明を受けて、南米から「解散宣言は無効」という声明が発表されました。

また、他のメンバーが南米から日本に立ち入ったという、記録もあるようです。

この事から、国外逃亡中の犯人は、南米に潜伏している可能性が出てきており、大道寺あや子も、この中にいるのではないかと言われています。

年齢的に亡くなっている可能性もありますが、もし生きているのなら南米にいる可能性が、高いと思われます。

学歴も高く、周りからも理想的な過程を築かれていると言われていたにもかかわらず、

なぜこのようなことをしてしまったのか不思議に感じてしまいます……他にも国際指名手配中の人が!?他に日本の「超法規的措置」で解放された方として佐々木則夫が挙げられます。彼も三菱重工爆破事件を起こした人の1人です。彼は北海道小樽市の商人の家に生まれ、

大道寺あや子の夫である大道寺将司に誘われ、この計画に参加したそうです。

現在は国際指名手配中ですが、生存すらわからない状況だそうです。


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釈放された大道寺あや子の現在は!?

【名前】:大道寺あや子

【読み方】:だいどうじあやこ

【出身地】:北海道釧路市

【生年月日】:1948年10月20日

【年齢】:69歳(2018年4月現在)

【学歴】:北海道釧路湖陵高等学校→星薬科大学

あや子は、1948年5人兄妹の末っ子として、北海道釧路で生まれます。

父は公務員という恵まれた家庭で育ちます。

そして、高校は地元の進学校に入学

ここで、のちに夫となる大道寺将司と出会います。

あや子は、成績優秀でその美貌もあり、クラスの男子にとって憧れの存在
一方で、将司は目立たない、地味な学生でした。

2人は、高校時代はほとんど話したこともなかったそうです。

あや子は、高校卒業すると、上京し、星薬科大学に入学そこで学生運動に参加。

その学生運動で将司と再会親交を深めるうちに、いつしか恋人関係にまで発展していきます。

その関係は、大学を卒業しても続きました。

大道寺あや子は、大学を卒業すると薬剤師となり、病院に勤務していました。

勤務態度は至って真面目で、とても今回の事件を起こした犯人だとは、誰も思わなかったようです。

高校時代の同級生だった、1973年には将司との結婚大道寺将司と結婚し、薬品会社に転職した

爆弾作りの薬品を入手するためだったとも言われています。

大道寺あや子は、1974年に事件の実行犯の一人となりました。

1977年に起きたダッカ日航機ハイジャック事件で
犯行グループが、人質を解放する代わりにあや子たち、爆破事件で逮捕された者を釈放するように要求このハイジャック事件の犯行グループと爆破事件の犯行グループは同じ組織だったと言われています。

この要求に対して、当時内閣総理大臣だった福田赳夫首相は
「一人の生命は地球より重い」
と発言し、ハイジャック犯行グループの要求をのみ
あや子を釈放


(釈放された時の画像)

そして現在、あや子は国際指名手配されており、現在も逃亡中です。
ただ、今の年齢は生きていれば、69歳くらいです。

国内に潜伏している説も出ていますが、海外に潜伏しているという説が有力のようです


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大道寺あや子 旦那は服役中に・・・!

大道寺将司は爆破事件の主犯格だったこともあり、ハイジャック事件が起きても
裁判は続行で1987年3月24日に最高裁で死刑が確定。

そして、刑が執行されないまま服役中の2017年5月24日に
「多発性骨髄腫」で、獄中で亡くなっていたことが明らかになっています。

大道寺将司は、高校時代から、様々なデモに参加していたようで、東アジア反日武装戦線「狼」の主犯格である。

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「超法規的措置」の是非

日本赤軍の要求に応じて「超法規的措置」で釈放された活動家らは、城崎勉容疑者を含め11人に及ぶ。釈放後にテロを起こし逃走中の人物もおり、要求に屈した深い爪痕は今も残る。

ダッカ日航機乗っ取り事件では、人質を盾に城崎容疑者らの釈放と600万ドルの身代金が要求された。福田赳夫首相(当時)は「人命は地球より重い」と要求を受け入れ、超法規的措置に踏み切った。

ダッカ事件を起こしたメンバーには、1975(昭和50)年、マレーシア米大使館が占拠されるなどした事件で人質交換されたメンバーもいた。昭和47年の「あさま山荘事件」に関与した坂東国男容疑者(68)、49~50年に発生した「連続企業爆破事件」に関与した佐々木規夫容疑者(66)ら6人がいまだ逃亡中だ。

警察庁官房長としてダッカ事件に対応した元警察庁長官の山田英雄氏は「超法規的措置は新たなテロを拡散させた。明らかな判断の誤り。これを教訓にテロに屈しない基本原則が確立された」と話す。

その他のメンバーは?

大道寺あや子の他にも、実行犯がいましたが、現在はどうなっているのでしょうか?

・片岡利明は死刑判決を受けて、現在も服役中である。

・齋藤和は逮捕されますが、逮捕後に警視庁に連行される前に、自ら命を絶ち、亡くなられました。

・浴田由紀子は、逮捕後、服役していましたが、2017年3月23日に刑期を終えて

現在は、『えきたゆきこ』名義で作家としてデビュー。

・宇賀神寿一は2003年に出所し、出所後は救援連絡センターに就職しました。

現在も、事務局員として働きながら、反権闘争運動を行なっているそうです。

・桐島聡はメンバーの中で、唯一逮捕されたことがなく、現在も消息不明となっています。

・黒川芳正は現在も、宮城刑務所に服役しているようです。

地下鉄サリン事件以前では、日本史上最大級といわれた事件をまとめてみましたが

2018年4月8日に放送される『テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース スクープ映像の舞台裏』で、三菱重工爆破事件について、特集されますので

事件について、詳しく知りたい方は、こちらをご覧になって観てください。

本日の記事はここまでです、コメント欄に是非、あなたのこの事件ついての貴重なご意見、ご感想をお聞かせください、おまちしております、最後までお付き合い下さりありがとうございます。

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