【世界一を知る“優勝請負人”】
2018年開幕、圧巻のピッチングにいぶし銀を感じた野球ファンばかりでは、今日は上原浩治の登場曲『Sandstorm』「来たーっ!」「時間とペースの奪い合いである」世界一を知る“優勝請負人”は巨人に残す爪痕とは帰ってきた上原浩治を語るうえで外せない話とはをテーマに記事にしました。
本日も最後までお付き合いよろしくお願いいたします
目次
これは外せナイ(引用元https://rocketnews24.com/2014/04/03/429039/)
レッドソックスがメジャーリーグの頂点に輝いた原動力となったのは、クローザーを務めた上原浩治投手だろう。シーズン162試合のうち73試合、ポストシーズンでも7試合に登板と大車輪の活躍であった。
39歳を迎えた上原投手だが、世界一のクローザーとなるまでの軌跡はどういったものだったのか。今回は『上原浩治』を語る上では絶対にハズせないエピソードを9つご紹介したい。
その1:雑草魂
上原投手といえば座右の銘にも挙げている「雑草魂」が有名だ。中学時代は陸上部、そして高校時代は控え投手で甲子園に出場経験もなし。光の当たらない歩みであったため、エリートたちには負けたくないという強い反骨心を持って戦い続けている。
その2:背番号19
上原投手は1999年に巨人へ入団、そしてメジャーリーグへと挑戦してからも背番号「19」を着け続けている。これは大学受験に失敗し、浪人生活で苦しい1年を過ごした「19歳」の頃を忘れないためだという。
その3:新人王&沢村賞
松坂大輔投手(当時西武)と同期で世間の注目を二分した1999年。上原投手はルーキー1年目から20勝4敗の成績で投手の主要タイトルを制し、新人王、そして投手にとって最大の名誉である沢村賞を受賞した。
その4:涙の敬遠
打者との真っ向勝負を好む上原投手。ルーキーイヤーの1999年10月、シーズン終盤で自身のタイトル争いもあったが、チームメートの松井秀喜選手もペタジーニ選手と本塁打王争いをしていた。
そんな中で1、2打席とペタジーニ選手を抑えていた上原投手にベンチからの指令は敬遠。真っ向勝負できない悔しさから上原投手は、目に涙を浮かべながら全力でボール球を投げ込み、マウンドの土を蹴り上げたのだった。
その5:投球フォーム
スプリットと140キロ台のストレートでメジャーの強打者たちを抑え続けている秘訣には投球フォームがある。ボールの出所が見えづらく、腕の振りが同じに見えるため打者は翻弄されてしまうのだ。
投球後の羽ばたくような形はメジャーの硬いマウンドに対応するためにジェイク・ピービー投手のフォームを取り入れ、セットポジション時の構えは「ロケット」の愛称で親しまれたロジャー・クレメンス投手を参考にしている。
その6:WBCで「降格」報道に怒り
2013年WBCで田中将大投手が不調で先発から中継ぎに回ると、新聞上で ”降格” という表現が見られた。これに対し上原投手は
先発の調子が悪いから、中継ぎに降格?? 降格って何やねん(−_−#) 中継ぎをバカにするなよ。野球を知らない奴が、記事を書くなって思うのは俺だけ??
と Twitter で反論。先発、中継ぎ、抑えとすべてを経験し、役割分担の大切さ、それぞれを任される投手の気持ちがわかるからこその怒りであった。
その7:アツすぎるハイタッチ
今ではレッドソックスの勝利の儀式としても浸透している上原投手のハイタッチ。アツいその姿はMLBの公式サイトでも取り上げられ、本拠地・ボストンの街中で上原投手がレッドソックスファンと交流する動画も公開された。
その8:37人連続アウト
昨季、抑え不足に悩まされていたレッドソックスは上原投手を抜擢。上原投手も期待に応えるように大活躍。8月17日のヤンキース戦から9月17日のオリオールズ戦で打たれるまで37人連続アウトで抑え、チームの快進撃を支えたのも記憶に新しい。
その9:ワールドシリーズ胴上げ投手
2013年10月31日、ワールドシリーズの第6戦レッドソックス vs カージナルスの試合でメジャーリーグの頂点を掴んだその時、マウンドに立っていたのは上原投手。もちろん、日本人として初の胴上げ投手となり、歴史に名を刻んだ瞬間であった。
2014年4月2日に行なわれたオリオールズ戦ではセーブがつかない場面であったが、9回に今季初登板した上原投手は1回を無失点でピシャリ。「雑草魂」のメンタルの強さ、そして円熟した技術で今季もさらなる活躍を見せてくれそうだ。
オーロラビジョンにオレンジ色の文字が浮かび上がり、懐かしの登場曲『Sandstorm』が鳴り響く。
オーロラビジョンにオレンジ色の文字が浮かび上がり、懐かしの登場曲『Sandstorm』が鳴り響く。スタンドからは「来たーっ!」「お帰りなさい〜!」という絶叫と割れんばかりの拍手が送られる。ついにあの男が帰ってきたのだと巨人ファンの熱き想いが木霊した。
ビジョンに上原の煽り映像が流れ、登場曲「Sandstorm(サンドストーム)」が響くと東京ドームのテンションは最高潮に達した。これまでの巨人では見られることのなかった大声援である。2試合続けて1点のリードで迎えた大事な8回に登場した。なおさらファンの期待感が高まるのだろう。
上原日本復帰の全投球内容
阪神打線は、1番からの好打順だった。
高山俊には初球にスプリットから入って空振りを奪い、2球目には135キロのストレートでファウルを取った。簡単に追い込んで最後はスプリットで投手ゴロ。
鳥谷敬には、初球に139キロのストレート。鳥谷は、そのボールを打ち損じた。サードへの内野フライ。
糸井嘉男との対決は見ごたえがあった。フォークの3連投から入った。カウント1-2と追い込んでから粘られた。サイン交換にほとんど時間を使わない上原が珍しく小林誠司のサインに首をふった。そして、またスプリット。結局、7球全球スプリット勝負で、最後はサードゴロ。
2人でわずか5球である。
この回、わずか12球である。
この日の上原の8回の投球時間は、約4分36秒しかなかった。
上原は、31日の阪神戦も、わずか11球で終わらせているが、このとき8回に費やした時間は約3分22秒。
日本球団への復帰の経緯
カブスからFAとなっている上原浩治投手(42)が5日、滞在先の米国から成田空港着の航空機で帰国した。熟考の末に日本球界復帰を決断したことを明かし、リリーフ陣が手薄な巨人が、近日中に正式なオファーを出す見込みだ。上原も獲得に熱心な古巣に愛着を抱いており、入団への障害はなさそう。10年ぶりに「巨人・上原」が誕生する。 上原の顔はすっきりとしていた。米国滞在中に家族や代理人らとの話し合いを終え、帰国した。成田空港で取材に応じると、日本球界復帰へ気持ちが傾いているのか問われ「そうですね、はい」と素直な心境を明かした。
日本球界復帰を決めたことで、古巣の巨人が獲得に動きだす。これまでも水面下で上原サイドに接触。近日中にも再度、連絡を取り、正式オファーを出す見込みだ。上原も「そういう話はうれしいですよね」と獲得に積極的な古巣の姿勢に感謝。相思相愛とみられ、入団は自然な流れだ。
1月には野球教室を行った福島市内で、「(メジャー契約がなく)マイナーだったらもうやめます」とメジャーでの現役続行にこだわる意向を示していた。当時はこれが本心。ところが過去に例がないほど米FA市場が停滞し、上原の交渉も進展せず。ブログにも「代理人と連絡は取っているものの、やはりいい話はないみたいで…」とつづっていた。野球を続けたいという純粋な思いから、徐々に日本球界での現役続行に気持ちは傾いていった。
上原の復帰が実現すれば、Bクラスから巻き返しを図る巨人にもこれ以上ない補強となる。チームのリリーフ陣で勝ちパターンである「勝利の方程式」入りが決まっているのは、来日7年目のマシソンと昨季の守護神・カミネロのみ。沢村も4日のヤクルトとのオープン戦で1年ぶりの1軍登板を果たしたばかり。日米で活躍した上原が加われば、ブルペンの厚みは一気に増す。同じ1975年4月3日生まれで現役時代から親交のある高橋監督にとっても心強い存在になりそうだ。
開幕は30日の阪神戦(東京ドーム)。残り1カ月をきっている。10年ぶりに本格投球するNPB球への順応や、サインプレーなど確認すべき課題はあるが「手を挙げてくれる球団がありますから、そこと話をして。一日でも早く決めたい」とうなずく。時間は限られているが経験、実績ともに豊富な上原ならば、開幕に間に合わせることも可能。巨人のユニホームに袖を通す日が、まもなく訪れそうだ(https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/03/06/kiji/20180306s00001173012000c.html)
この日の上原、いや、上原というピッチング
錯覚だーーーーー、そういわざるえない
腕の振りがまったく同じのスプリットを使い分けすることで、たかだか135キロのストレートが早く見えるという錯覚を引き起こすのだ。
キャッチャーからの返球をとってはすぐに投げる。超高速な投球テンポが打者に考える隙を与えない。
投手と打者の対戦は、「時間とペースの奪い合いである」という名言を残したのは名将、野村克也氏ではある。上原の投球術のひとつに、この時間とペースの支配力がある。
驚くほどの超ハイテンポである。
カップ麺が出来上がる時間で上原はマウンドを降りるのだ。
「もしNPBの他球団に獲られていたら今頃悔しくてたまらなかっただろうな」
2018年3月20日、日本ハム戦の7回表に上原浩治が3426
まだシカゴ・カブスのユニフォームを着ていた1年前、いやFAだった1か月前でも「開業30周年の東京ドームで上原が10年ぶりに帰ってきてジャイアンツの背番号11をつけて凱旋登板するよ」なんて言ったら、いい加減フラれたオネエちゃんを追い続けるのはよせ、かなわない夢は見るなと全野球ファンから突っ込まれていたことだろう。今夜、不可能が可能になった。平日夜にもかかわらず来場者数は4万6297人と、オープン戦で実数発表が始まって以来の最多記録を更新。みんな、その瞬間を待っていたのである。
先日、Twitter上のプロ野球死亡遊戯アカウントから「皆さんの“平成の巨人のエース”と言えば誰ですか?」というアンケートを実施させてもらった。総回答数は6787票(ご協力いただいた方々ありがとうございました)、結果は4位内海哲也9%、3位斎藤雅樹24%、2位菅野智之28%、そして1位は上原浩治で39%だった。恐らく、90年代初頭の斎藤では昔すぎて、近年の菅野や内海ではまだ新しすぎる。結果、90年代末から2000年代にかけて上にも下の世代にも幅広く見られてきたエースが、2度の沢村賞に輝き、7年連続開幕投手を務めた上原ということだろう。
1999年の松井秀喜、高橋由伸、上原浩治がいた時代
19年前、上原浩治がプロデビューした1999年、巨人戦ナイターは当たり前のようにほぼ全試合、地上波テレビ中継されていた。まだネットもそれほど普及しておらず、もちろんスマホの動画配信もない。テレビが娯楽の王様として圧倒的な説得力を持っていた時代、長嶋監督のもと25歳の松井秀喜が自身初の40本台クリアとなる42本塁打を放ち、24歳の高橋由伸も打率.315、34本塁打、98打点でベストナインとゴールデングラブを受賞し、ルーキー上原は20勝を挙げて投手タイトルを独占した。若き松井、由伸、上原らが躍動した99年巨人戦の年間平均視聴率は「20.3%」。なお巨人戦視聴率が平均20%を越えたのはこの年が最後だ。
つまり上原は、圧倒的な人気と知名度があった「あの頃の巨人」をど真ん中で体験している最後の投手なのである。しかもテレビCMでも松井は富士通や久光製薬、由伸がサントリー、上原がハウス食品とそれぞれ大企業の顔としてお茶の間を席巻。いわば、どんな有名芸能人よりも頻繁に、毎晩地上波テレビのゴールデンタイムに登場していたのが彼らだったわけだ。そして平成も終わりかけている現在、まるで世紀末の宇多田ヒカルの懐メロを耳にしたような感覚で、99年流行語大賞の“雑草魂”に反応して駆け付ける東京ドーム。最近の巨人の選手は知らなくても上原は知っている、世の中にはそんな元巨人ファンやプロ野球ごぶさた層は多いと思う。20日のオープン戦史上最多の観客数がそれを証明していると言えるだろう。
背番号11の役割は巨人の「過去」と「今」を繋げること
もちろんずっと巨人を見続けてきた熱心なファンからしても、ゴジラ松井がメジャーリーグに行ったまま現役引退をしてしまったので、この手のスーパースターの古巣帰還ストーリーに死ぬほど飢えていたっていうのはあると思う。どちらにせよ上原浩治の復帰によって、多くの人の最近止まっていた“ジャイアンツ時計”が動き出した。
4月3日で43歳になる上原だが、貴重なブルペンの一員として戦力的な期待も大きい。同時にそれ以上に託された役割は、「あの頃の巨人」と「今の巨人」のパイプ役だ。勘違いしないでほしいが、栄光の歴史に頼れなんて言いたいわけじ
背番号11を入口に今の巨人を楽しんでもらう。最近、球場から遠のいていた長嶋世代のお爺ちゃんを呼び戻せば孫を連れてきてくれるかもしれない。上原や由伸と同世代のお父さんを振り向かせれば家族も一緒にスタンドへ遊びに来るかもしれない。子どもの頃、テレビで観ていたエースに会いに若い世代が友人や恋人とぶらり立ち寄るかもしれない。気が付けば、俺もあなたも上原もみんないい歳さ。長い時間が経ったのだ。オープン戦終盤の客席では真新しい背番号11のTシャツだけじゃなく、嬉しそうに19番時代の10年以上前のレプリカユニフォームを着たファンも目についた。この日のためにクローゼットの奥底から引っ張り出してきたものだろうか。本当にいい光景だった。そして、近年の巨人では決して見られなかった光景でもあった。
20日の東京ドームではプロ2年目の吉川尚輝がホームランを放ち、日米通算20年目の上原がマウンドに上がった。冷静に振り返ると、試合には負けたわけだが、みんな終了後は満足そうな顔をしてドームの出口へ向かった。まるであの頃、松井のホームランや由伸のダイビングキャッチを見られたのと同じような気持ちで。
今シーズンはたくさん東京ドームへ行こうと思う。だって、そこに帰ってきた上原浩治がいるのだから。
最後に雑草魂「浪人時代があったからこそ」と言える上原浩治の誰にも負けない強さ
米大リーグ、ボストン・レッドソックスの2013年のワールドシリーズ制覇を支えた上原浩治投手(39)。「クローザー」としてチームメートや監督から絶大な信頼を得ていた上原投手の登板は、常に苦しい場面ばかりでした。重圧をはね返す力になったのは、「背番号19」。その裏付けは、浪人経験だといいます。
大学を卒業してプロ野球の巨人入団からずっと付けている背番号「19」は、「19歳の時の苦しさを忘れないように」との思いで選びました。高校生の頃は、大学に行って4年間野球をやり、その後は体育教師になろうと思っていました。そのため、自宅から通え、自由な校風の大阪体育大(大体大)への進学を考えていました。
高校3年間は野球漬けで全く勉強しなかったため、知識はほぼゼロに近かった。浪人してから、中学レベルからやり直そうと、予備校の一番下のクラスに入りました。午前9時から午後5時ごろまで予備校で勉強。うまく気分転換しないとおかしくなってしまいそうだったので、夕方からスポーツジムでウエートトレーニングをしていました。振り返ってみると、無理に受験のテキストを開かず、中学の勉強からやり直したことが良かったように思います。野球もキャッチボールなど基礎が大事ですが、基本をおろそかにしていると応用もできません。
好きな教科なんてありません。でも、やらないといけなかったので。逃げては通れない道ですからね。あの時、勉強したから今があると思っています。もしスムーズに現役で受かっていたら、今の自分はないかもしれない。だから振り返ると、あの1年があって良かったと思います。もっと野球が好きになりましたから。
大学を選ぶに当たって一番大事なのは、自分が何をしたいかだと思います。単に友達が行っているから、という理由だったら絶対、やめた方がいい。僕の場合は体育教師になりたいという夢がありました。浪人の1年は本当にきつかった。ですが、あの1年があったから、野球でしんどい場面があっても、そんなに気にやむことはありませんでした。やっぱり、先が見えない19歳の時が一番つらかったから。
クローザーはきつい。チームの勝利のかかった大事な場面でマウンドに上がり、抑えることを当然のように求められます。でも、そういう時も背番号を見れば、「19歳の時に比べれば、好きな野球を仕事にしている。そんな幸せなことはない」。そう思うとすごく気が楽になるんですよ。
大事な場面でマウンドを任される時、(満員の)スタンドを見上げます。「わー、すごいお客さんがおるわー」。試合だけにとらわれることなく、球場を見回してみる。勝負とは別のことが頭に浮かんできて、またパッと試合に気持ちが向かいます。野球は投手が投げなければ始まりません。自分が主役です。受験も自分が主役。試験監督が「よーい、始め」と言ったら、1分ぐらい周りを見渡して、心を落ち着かせてから始めるのもいいんじゃないでしょうか。見渡したらカンニングと思われちゃうか(笑い)。
派手なこと、奇をてらったことで注目を引かなくても、こつこつ努力している人は、誰かがちゃんと見ていてくれるものです。野球でも球団によって目立ち方が全く違い、「自分の方が成績を上げているのに、なんであいつが目立つんだ」ということもあります。でも第三者より、まず自分がこつこつ頑張っていけば、間違いなく自分に返ってきます。人はなるようにしかなりません。ただ、やることをきちっとやって、なるようになるための努力をしてきたかどうかで違いが出ます。
僕は今、39歳。メジャーリーグに来たのは、野球選手にしては遅めの34歳です。こつこつやってきたことが10年、15年を経て実を結ぶことがあります。だから、やっぱり諦めるな、ということですよ。受験もそう。今やった勉強がすぐ受験に役に立つかは分かりませんが、試験の前日まで、最後の最後まで頑張ることが大事です。
この年齢でレッドソックスの2年契約を取れたということで、提示してくれた球団や関係者、ファンにはすごく感謝しています。またそういう人たちのためにも頑張らんとあかんなと思います。頑張っている人にしか野球の神様は降りてきません。それは受験勉強も同じで、頑張った人にちゃんと点数が与えられると僕は信じています。ここまできたらちゃんと体調管理すること、最後まで諦めずにやることだと思います。改めて浪人の1年を振り返り、自分でもようやったなと思います。僕は今でも「尊敬する人」を聞かれると、「勉強している浪人生」と答えるんですよ。それくらい大変だってことを、身をもって経験しましたから、受験生には本当に頑張ってほしいなと思います。
引用:毎日新聞
2018年、巨人が阪神との開幕カードを2勝1敗で勝ち越して上々のスタートを切った。原動力となったのは10年ぶりに復帰した上原浩治(42)の存在だ。“8回の男”として2試合で2回を無失点に抑えてゲームを引き締めた。特筆すべきは、その少ない球数と投球の超ハイテンポだ。世界一を知る“優勝請負人”上原が巨人を変えるのかもしれない。
今日の記事はここまでです、最後まで読んで頂きありがとうございます。