これは外せナイ(引用元https://rocketnews24.com/2014/04/03/429039/)

レッドソックスがメジャーリーグの頂点に輝いた原動力となったのは、クローザーを務めた上原浩治投手だろう。シーズン162試合のうち73試合、ポストシーズンでも7試合に登板と大車輪の活躍であった。

39歳を迎えた上原投手だが、世界一のクローザーとなるまでの軌跡はどういったものだったのか。今回は『上原浩治』を語る上では絶対にハズせないエピソードを9つご紹介したい。

その1:雑草魂

上原投手といえば座右の銘にも挙げている「雑草魂」が有名だ。中学時代は陸上部、そして高校時代は控え投手で甲子園に出場経験もなし。光の当たらない歩みであったため、エリートたちには負けたくないという強い反骨心を持って戦い続けている。

その2:背番号19

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上原投手は1999年に巨人へ入団、そしてメジャーリーグへと挑戦してからも背番号「19」を着け続けている。これは大学受験に失敗し、浪人生活で苦しい1年を過ごした「19歳」の頃を忘れないためだという。

その3:新人王&沢村賞

松坂大輔投手(当時西武)と同期で世間の注目を二分した1999年。上原投手はルーキー1年目から20勝4敗の成績で投手の主要タイトルを制し、新人王、そして投手にとって最大の名誉である沢村賞を受賞した。

その4:涙の敬遠

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打者との真っ向勝負を好む上原投手。ルーキーイヤーの1999年10月、シーズン終盤で自身のタイトル争いもあったが、チームメートの松井秀喜選手もペタジーニ選手と本塁打王争いをしていた。

そんな中で1、2打席とペタジーニ選手を抑えていた上原投手にベンチからの指令は敬遠。真っ向勝負できない悔しさから上原投手は、目に涙を浮かべながら全力でボール球を投げ込み、マウンドの土を蹴り上げたのだった。

その5:投球フォーム

スプリットと140キロ台のストレートでメジャーの強打者たちを抑え続けている秘訣には投球フォームがある。ボールの出所が見えづらく、腕の振りが同じに見えるため打者は翻弄されてしまうのだ。

投球後の羽ばたくような形はメジャーの硬いマウンドに対応するためにジェイク・ピービー投手のフォームを取り入れ、セットポジション時の構えは「ロケット」の愛称で親しまれたロジャー・クレメンス投手を参考にしている。

その6:WBCで「降格」報道に怒り

2013年WBCで田中将大投手が不調で先発から中継ぎに回ると、新聞上で ”降格” という表現が見られた。これに対し上原投手は

先発の調子が悪いから、中継ぎに降格?? 降格って何やねん(−_−#) 中継ぎをバカにするなよ。野球を知らない奴が、記事を書くなって思うのは俺だけ??

と Twitter で反論。先発、中継ぎ、抑えとすべてを経験し、役割分担の大切さ、それぞれを任される投手の気持ちがわかるからこその怒りであった。

その7:アツすぎるハイタッチ

今ではレッドソックスの勝利の儀式としても浸透している上原投手のハイタッチ。アツいその姿はMLBの公式サイトでも取り上げられ、本拠地・ボストンの街中で上原投手がレッドソックスファンと交流する動画も公開された。

その8:37人連続アウト

昨季、抑え不足に悩まされていたレッドソックスは上原投手を抜擢。上原投手も期待に応えるように大活躍。8月17日のヤンキース戦から9月17日のオリオールズ戦で打たれるまで37人連続アウトで抑え、チームの快進撃を支えたのも記憶に新しい。

その9:ワールドシリーズ胴上げ投手

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2013年10月31日、ワールドシリーズの第6戦レッドソックス vs カージナルスの試合でメジャーリーグの頂点を掴んだその時、マウンドに立っていたのは上原投手。もちろん、日本人として初の胴上げ投手となり、歴史に名を刻んだ瞬間であった。

2014年4月2日に行なわれたオリオールズ戦ではセーブがつかない場面であったが、9回に今季初登板した上原投手は1回を無失点でピシャリ。「雑草魂」のメンタルの強さ、そして円熟した技術で今季もさらなる活躍を見せてくれそうだ。

 

オーロラビジョンにオレンジ色の文字が浮かび上がり、懐かしの登場曲『Sandstorm』が鳴り響く。